避けられなかった二度目の別れ
『ハウス・オブ・ブルー・ライト』を巡るツアーで、リッチー・ブラックモアとイアン・ギランの対立はもはや誰の目にも修復不可能なレベルに達していました。ステージ上での険悪な雰囲気はバンド全体のパフォーマンスに影を落とし、ファンを失望させることも少なくありませんでした。この状況を憂慮したジョン・ロード、ロジャー・グローヴァー、イアン・ペイスの3人は、バンドを存続させるために苦渋の決断を下します。
1989年、バンドはイアン・ギランを解雇することを決定。黄金期を築き、奇跡の再結成を成功させた偉大なヴォーカリストが、二度もバンドを去るという衝撃的な結末でした。リッチー・ブラックモアの「彼(ギラン)か、俺か」という最後通牒があったとも言われており、バンドはギタリストであるリッチーを選択した形となりました。
後任ヴォーカリスト探しとリッチーの選択
再びヴォーカリストを失ったディープ・パープルは、後任探しを開始します。様々な候補者の名前が挙がる中、リッチー・ブラックモアにはある考えがありました。彼は、自身が率いていたレインボーの最後のヴォーカリストであったジョー・リン・ターナーを、ディープ・パープルの新しいフロントマンとして迎え入れることを強く推薦したのです。
ジョー・リン・ターナーは、甘くメロディアスな歌声を持ち、レインボーをよりポップでコマーシャルな成功へと導いた人物でした。彼の加入は、ディープ・パープルの音楽性が、よりAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)やメロディック・ロック路線へと向かうことを意味していました。他のメンバーは、ディープ・パープルの伝統的なサウンドからの逸脱を懸念しましたが、最終的にはリッチーの意見を受け入れ、ジョー・リン・ターナーの加入が決定します。
新たなラインナップ、新たな方向性
こうして、リッチー・ブラックモア、ジョー・リン・ターナー、ロジャー・グローヴァー、ジョン・ロード、イアン・ペイスという、ファンにとっては驚きの新ラインナップが誕生しました。このメンバー構成は、後期レインボーにディープ・パープルのリズム隊とキーボーディストが加わったような形であり、「ディープ・レインボー」や「パープル・レインボー」などと揶揄されることもありました。
しかし、この変化は、バンドが新たな時代を生き抜くための、リッチー・ブラックモアなりの戦略でもありました。果たして、この大きな賭けは吉と出るのでしょうか。
次回予告
第20章では、ジョー・リン・ターナーを迎えた新生ディープ・パープルが放つ唯一のアルバム『スレイヴス・アンド・マスターズ』を特集します。そのAOR色の強いサウンドは、ファンや評論家にどのように受け入れられたのか。そして、このラインナップが短命に終わる原因となった出来事とは? ご期待ください!