ディープ・パープル物語 第7章:『ライヴ・イン・ジャパン』と迫り来る崩壊の足音

『マシン・ヘッド』の成功と世界ツアー

アルバム『マシン・ヘッド』は世界中で大ヒットを記録し、ディープ・パープルはハードロック界の頂点に君臨しました。「ハイウェイ・スター」や「スモーク・オン・ザ・ウォーター」といった楽曲はラジオでヘビーローテーションされ、彼らの名はロックファン以外にも広く知れ渡ることになります。

バンドは成功の勢いに乗り、大規模なワールドツアーを敢行します。その一環として、1972年8月、彼らは初めて日本の地を踏むことになりました。当時の日本は、海外のロックバンドに対する熱狂がまさに頂点に達しようとしていた時期であり、ディープ・パープルの来日は大きな注目を集めました。

 

伝説の日本公演:『ライヴ・イン・ジャパン』誕生

1972年8月15日・16日に大阪フェスティバルホール、17日に東京の日本武道館で行われた3日間の日本公演は、まさに伝説となりました。日本のファンの熱狂的な歓迎と、それに応えるバンドの気迫に満ちたパフォーマンスは、奇跡的な化学反応を生み出します。

当初、日本限定でのリリースを目的として録音されていたこれらの公演の音源は、そのあまりのクオリティの高さから、後に『ライヴ・イン・ジャパン (Made in Japan)』として世界中でリリースされることになります。この2枚組ライブアルバムは、スタジオ盤をも凌駕すると言われるほどの圧倒的なエネルギーと、メンバー個々の卓越した演奏技術、そしてバンド全体が生み出すスリリングなインタープレイを完璧に捉えており、ロック史上に残る最高のライブアルバムの一つとして高く評価されています。

 

 

 

「ハイウェイ・スター」の疾走感、「チャイルド・イン・タイム」の荘厳さ、「スモーク・オン・ザ・ウォーター」の重厚感、そして20分にも及ぶ「スペース・トラッキン」の壮大なジャムセッションは、まさに圧巻の一言。このアルバムは、ディープ・パープル マークIIの頂点を記録したドキュメントと言えるでしょう。

 

栄光の裏で深まる亀裂

しかし、この輝かしい成功の裏で、バンド内の亀裂は修復不可能なレベルにまで深まっていました。特にリッチー・ブラックモアとイアン・ギランの対立は決定的となり、ステージ上でのコミュニケーションもほとんど取られないような状況でした。

リッチーはよりブルージーでファンキーな音楽性を志向し始めていたのに対し、イアン・ギランはバンドのハードロック路線からの逸脱を快く思っていませんでした。音楽的な方向性の違いに加え、長年のツアー生活による疲労、そしてエゴの衝突が、バンドを崩壊へと向かわせていたのです。

ロジャー・グローヴァーもまた、リッチー・ブラックモアとの関係が悪化し、バンド内での孤立感を深めていました。ジョン・ロードとイアン・ペイスは、なんとかバンドをまとめようとしますが、その努力もむなしく、マークIIラインナップの終焉は刻一刻と近づいていました。

 

次回予告

第8章では、傑作ライブ盤『ライヴ・イン・ジャパン』を置き土産に、ついにイアン・ギランとロジャー・グローヴァーがバンドを去る衝撃の展開と、マークIIの終焉、そして新たなヴォーカリストとベーシストを迎えたマークIIIの誕生について詳しく見ていきます。ハードロックの巨星はどこへ向かうのか? ご期待ください!

ライヴ・イン・ジャパン DELUXE EDITION - ディープ・パープル

 

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