終わりの始まり:マークIII最後のツアー
アルバム『嵐の使者 (Stormbringer)』で顕著になったファンク/ソウル路線への傾倒は、リッチー・ブラックモアの心をディープ・パープルから完全に引き離してしまいました。彼にとって、バンドはもはや自らの音楽を表現する場所ではなくなっていたのです。
1975年春、ヨーロッパツアーが行われますが、リッチーのパフォーマンスは精彩を欠き、ステージ上での孤立は誰の目にも明らかでした。彼は既に、新たなバンドの構想を具体的に進めており、ディープ・パープルとしての活動に身が入らない状態でした。そして1975年4月7日、パリでの公演を最後に、リッチー・ブラックモアはディープ・パープルを正式に脱退します。バンドの創設者であり、そのサウンドの核であった絶対的ギタリストの離脱は、ロック界に大きな衝撃を与えました。
虹の彼方へ:レインボーの結成
ディープ・パープルを去ったリッチーが次なるパートナーとして選んだのは、ディープ・パープルの前座を務めていたバンド「エルフ」のヴォーカリスト、ロニー・ジェイムス・ディオでした。リッチーはロニーの持つパワフルかつ表現力豊かな歌声と、ファンタジックな世界観を持つ歌詞に惚れ込み、彼と共に自身の理想とする音楽を追求することを決意します。
こうして、リッチー・ブラックモア率いる新バンド「レインボー (Rainbow)」が結成されました。1975年8月、デビューアルバム『リッチー・ブラックモアズ・レインボー (Ritchie Blackmore's Rainbow)』をリリース。このアルバムは、リッチーがディープ・パープルでやり残した、クラシカルな要素と様式美に彩られた、ストレートなハードロックサウンドが全編にわたって展開されており、彼の復活を鮮烈に印象付けました。
残された者たちの決断:ギタリスト不在の危機
一方、絶対的な支柱を失ったディープ・パープルは、バンド史上最大の危機に直面していました。多くの人が、リッチー・ブラックモアのいないディープ・パープルなど考えられない、と解散を噂しました。
しかし、デヴィッド・カヴァデール、グレン・ヒューズ、ジョン・ロード、イアン・ペイスの4人は、バンドの存続を選択します。彼らは、リッチーの後任という、途方もなく困難な役割を担うギタリストを探し始めました。世界中の名だたるギタリストが候補に挙がりましたが、リッチーの強烈な個性とプレイスタイルを真似るのではなく、バンドに新たな風を吹き込むことのできる、全く新しいタイプのギタリストが求められました。
次回予告
第12章では、困難を極めたオーディションの末に、バンドが選び出した驚くべき才能の持ち主、アメリカ人ギタリストのトミー・ボーリンの加入と、彼を迎えて誕生した「マークIV」ラインナップの船出を追います。ジャズやファンクの素養を持つ天才ギタリストは、ディープ・パープルに何をもたらしたのか? ご期待ください!