ギタリスト不在という未曾有の危機
リッチー・ブラックモアという絶対的な存在を失ったディープ・パープルは、まさに崖っぷちに立たされていました。彼の後任を見つけることは、単にギタリストを一人補充するという話ではありません。バンドの魂の一部を、全く新しい何かで埋めるという、途方もなく困難な作業でした。
デヴィッド・カヴァデールは、一時期バンドの解散を考えたと後に語っています。しかし、ジョン・ロードとイアン・ペイスはバンドの存続を強く望み、新たなギタリストを探すためのオーディションが始まりました。ジェフ・ベックなど、様々な大物ギタリストの名前が噂されましたが、バンドが求めていたのは「リッチー・ブラックモアの模倣者」ではありませんでした。
天才の登場:トミー・ボーリン
オーディションは難航を極めましたが、そんな中、デヴィッド・カヴァデールが推薦した一人のギタリストが、バンドの運命を大きく変えることになります。その男の名は、トミー・ボーリン。アメリカ、アイオワ州出身の若き天才ギタリストでした。
彼は当時、ジャズ・ロック・バンドの「ゼファー」や、フュージョン・グループの「ジェイムス・ギャング」、そしてジャズ界の巨匠ビリー・コブハムのアルバム『スペクトラム』への参加などで、既にその才能を高く評価されていました。彼のプレイスタイルは、ハードロックの枠に収まらない、ジャズ、ファンク、ソウル、サイケデリックなど、多彩な要素を内包したものでした。
オーディションで、トミーは4台のマーシャルアンプを並べ、エコープレックス(テープエコー・マシン)を駆使して、即興でジャムセッションを始めました。その独創的で予測不可能なギタープレイは、残されたメンバーに衝撃を与え、彼こそがバンドに新しい血を輸血できる唯一の存在だと確信させました。
マークIVの誕生:新たな化学反応
1975年夏、トミー・ボーリンの加入が正式に発表され、ディープ・パープルは「マークIV」として再出発します。デヴィッド・カヴァデール(ヴォーカル)、グレン・ヒューズ(ベース、ヴォーカル)、ジョン・ロード(キーボード)、イアン・ペイス(ドラムス)、そしてトミー・ボーリン(ギター)という、ブリティッシュ・ロックの重鎮たちにアメリカの天才が加わった、異色のラインナップの誕生でした。
トミーの加入は、バンドのサウンドを劇的に変化させました。グレン・ヒューズが持ち込んだファンク/ソウルの要素は、トミーのファンキーなギターカッティングと見事に融合。ジョン・ロードのキーボードも、トミーのジャジーなフレーズに呼応するように、より自由な広がりを見せ始めます。バンドは、リッチー時代とは全く異なる、より洗練され、よりグルーヴィーなアンサンブルを手に入れたのです。
次回予告
第13章では、マークIVラインナップによる唯一のスタジオアルバム『カム・テイスト・ザ・バンド (Come Taste the Band)』の制作秘話と、その革新的なサウンドがファンや評論家からどのように受け止められたのかを追います。しかし、その裏ではトミー・ボーリンが抱える個人的な問題が、バンドに新たな暗い影を落とし始めていました。ご期待ください!