大学に入る前に手の柔軟性が低いのでよくあることを毎日の日課の一つにしていました。
もう最近ではすっかりジジィでそれなりにうまくなったからどうでもいいし関係ないと思っていたのですが。
あることがきっかけで「やっぱやっていなくちゃダメなんだな」と再認識して再開しました。
それは指股のストレッチ。
そんなことを他人から聞いても「・・・はぁ?」ってことでしょうけど。
手のでかい人間ならどうでもよくても、手の小さな人間にはどうしても必要なことではないのか?ともう一度思うようになったのです。
これは他の指でもおこないます。
で、次のように使用します。
解説するのに専門的な指番号呼称を使いますけど。
親指を1とし、人差指を2、中指が3、薬指が4、小指を5と呼びます。
オクターブの音を同時に鳴らすときに、通常は親指と小指の1と5を使うのは誰が考えなくても一緒なのですが。
自分もそうなんですけど、さらにプロを目指すなら誰かから「これだけでやるのではなく他の指も使ってまんべんなくやらなくてはいけない」という指導がされないとわからない。
自分もだれにも教えられなくて1・5だけでやっていたのですが。
あるとき「この方がよくね?」と気づき、白鍵のオクターブは1・5で、黒鍵のオクターブは1・4でやるようにして。
それで満足して今の年齢に至ってしまいましたけど。
ホントは他の指間を使用しても練習しなくてはいけなかった。
これがオクターブではなくても、「黒鍵は親指以外の指で弾くこと」と大昔の稚拙な知識のババァの教育者のおかげで「これはいけない」「こうするのがいい」という間違えた認識が埋め込まれてしまっているわけですが、規則なんて当て嵌めない方がいいのですね、ホントは。
親指だって黒鍵を弾くし、「手の形は卵を持つ感じで」ということを嘯くことが当たり前になっていましたが、あれもあんなことを考えない方がよくて、実際には指をできるだけ伸ばしただけの状態でも弾けるようにした方がいい。
むしろいつもはできるだけ伸ばした指で弾き、伸ばしていられないところを例外的に臨機応変に指を曲げて弾けばよい。
だから。
オクターブを弾く時も、「1・5で」「例外的に1・4で」と考えるのではなく、他の指同士でも弾けるようにする方がいい。
これが特に手の小さい女性の場合には絶望的に届かないのですけど、自分程度の小ささであれば男にはよくある手の小ささでもあり、「1・3」でも届くことに気づくのです。
なんでこんな歳になってからやっと気づくかな、と自分にかなり失望しています。
いつの間にか「親指と中指でオクターブが届くわけがない」と、自分の目の前にしている手で鍵盤に置きもせずに数十年ムダに過ごしてしまいました。
そこで反省して分散オクターブの練習、「ド(オクターブ上の)ド、レ(上の)レ、ミミ、ファファ、ソソ・・・」という動きの練習の時に、左手なら「5-1・4-1・3-1・・・」などと練習してみる。
・・・できるんぢゃん。
できると何が良いかというと、単に「5-1」だけでやっていくと忙しく手がバタバタしてしまうのですが、指を替えることによってもっと滑らかに音が出せるし、逆にすべての音をハッキリと強く鳴らせることも可能になる。
ずっとやっていなかったことを今さらそんな頭がこんがらがりそうなことを取り入れて練習しても、できるようにはならないのでは?という危惧もあったのですが。
やってもみないことを「できない」と思うこと自体がいけない。
早速2週間前ほどから取り入れて毎日の基礎練習をやっていますが数日で効果が出てきています。
弾きやすいし、音がスムーズに鳴る。
これにもっと30年くらい前には気づいておきたかった。
せっかく専門教育まで受けに行ったのに、師匠たちがこれに気づいてなくて指導もできなかったことにかなりハラが立ちます。
きっとほったらかしにしていたら死ぬまで気づかなかったでしょうが。
ネット上でのピアニスト以外のいろんな知り合いとの交流から刺激を受け、以前の自分の目標としていたピアニストたちの映像を見ているうちに気づけたのです。
多くはロシア人の一流ピアニストたちですけど、彼らは手がバカでかいので「こうする」と意識するまでもなく「1・5」以外の指を使ってオクターブを鳴らしている。
そのことに以前は気づけなかった。
現代っていうのはそういうメリットもありますね。
自分の若いころなら「動画を簡単に見る」ということ自体が不可能な事でもあって、たとえ録画が見られたとしても画質が悪くてそんなところがよくわからないのものあったでしょうし、動画を簡単に止めてゆっくりと確認することもできなかった。
一刻も早く死にたいとは今でも思っていますが。
生きている間にわかってよかったかも。